文章を書ける事に憧れた人のブログ

長く喋りたい時に使う

鼻水で窒息死してみようと考えた夜

風邪をひいた。

「物が飲み込みづらいだけ」
「寒暖差が酷かったし気圧差にもやられたのだろう」

そうたかをくくり、原因である鼻水を放置したのが全ての始まりだった。

症状が重くなり喉に張り付く粘度の高い鼻水。
出そうと咳をするも張り付いている為取れない痰。
更に出そうと咳を激しくした結果無闇に傷つけられる喉。
とどめとばかりの多忙。
喉の炎症による発熱。奪われる声。

初期段階で手を打たなかった私のミスでもあるが、
年末のバタバタと真摯に向き合った私に対してあんまりな仕打ちじゃなかろうか。

深夜2時半、休息を求める体と反比例するが如く流れ出る鼻水。
その結果出来た痰を窒息しないよう吐き出しながらふと思い至った。

「もう窒息してもいい、とにかく深い眠りにつきたい」と。

鼻くそだけにヤケクソだったのだろう。
ああ、クソの流れのように おだやかに。

発熱と酸素不足で朦朧とする意識には
クソによる窒息死がとても良いアイディアに思えたのだ。

 

思えば幼い頃から「死」という感覚に対して興味があった。

幼い頃のある日、寝起き一発目に飛び込んてきた
朝日に照らされた室内灯のスイッチ紐に括られたぬいぐるみに恐怖を感じた。

そのぬいぐるみは私が引き、共に常夜灯の下床に就いたはずなのだ。
しかし外は常夜灯が必要無い程にその光度を変化させ、
ぬいぐるみはその恩恵を受け燦燦と輝いているのに対し、
私はそれを知る由も無く懇々と眠りについていた。

私の感覚だけはこの世には無かったのだ。

「これがきっと死なのだろう」と幼心ながらに感じ、自分の知らない事が存在する事に恐怖した。
そして、無謀にもその幼心は「『知れば』怖くなくなるのでは」という仮説を立てたのだ。

お化け屋敷もどのタイミングで脅かし役が出るのか、知っていれば怖くない。
お母さんに怒られるのは怖いが、事前に回避するような行動を取れば怒られない。

仕組みを、構造を、状態を知れば怖くないと考えたのだ。

それ以来映画の死体の真似をする死体ごっこをしてみたり、
風呂に潜り無音と闇の状態を死に見立ててみる年月を過ごした私にとって
鼻くそによるおだやかな窒息死はとても魅力的に思えたのだ。

 

薄れていく意識の中、死を間近にした人はどういう行動をとるべきかを考えた。
映画では過去を思い返したり、やりたかった事を悔やんでいたり、思い人に告白したり様々だ。

せっかくなら全てを網羅しよう、それでこそ長年知りたかった死ぬ前の状態だ。

今日の私は冴えているぞと早速やりたかった事から考え出した。

「クリスマスネタ、書き終えなかったなぁ」
「あの表情だけは描きたかったな」
「あ、そういえばこのセリフも入れたかったんだった」
「あ、今思い当たったセリフめっちゃいいな」
「めっちゃいいな」
「めっちゃいいじゃん」
「ちょ、おまそれ、ま
ちょっと待って!!!!!!!!

 

冴えた結果出てくるネタに布団を飛び出すオタク。
結果、長年に渡り待ち望んだ死を待たせる形となった。

オタクでよかった。