文章を書ける事に憧れた人のブログ

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山田孝之になりたかった。

1月も終わる頃、大雪に見舞われるという都内では信じがたい天気予報が発表された。
雪とその景色が大好きな自分にとっては吉報だった。
普段の出勤・退勤用の装備に遊び用の靴下と手袋を鞄に詰め、念の為のニット帽もポケットに入れウキウキも抑えずに家を出た。

昼休みには雪が降り始め上層部により帰れる人は帰れと指示が出た。
まだ積もらないだろう、大丈夫だろうという人を尻目にこれは絶対積もるタイプだと確信した私はいち早く退勤、雪が降り積もっていく中帰る事となった。

最寄駅から家までの徒歩20分、ここが今日の私のライブ会場だ。
そう言わんばかりに踏まれてない箇所を踏み、
頭に積もる雪を振り払いながら坂という坂を駆け上がった。
この世の誰よりも雪を楽しんでいるという自信があった。

 

自分の家近くの空き地を駆け回る犬を見るまでは。

 

初めて雪を見たのだろう、
空から降り注ぐ輝きと同じようにその瞳を輝かせ、足元に撒かれた雪の絨毯に一歩走る度歓喜し毛に纏わりつくのも厭わず駆け回っていた。

 

いつもの精神状態なら微笑ましい犬だと笑えただろう。
動画にしたらどこぞやのSNSで映えそうだと流せただろう。

 

しんしんと心に日常生活のストレスを降り積もらせていた影響かは分からない。
朝から今か今かとウキウキしていた影響かも分からない。
自分が一番楽しんでいる物だと思っていた物を他の誰かがもっと楽しんでいる事にとてつもない嫉妬を覚えてしまったのだ。

熱量を比べる事は決して出来ない。
だがこんなにも装備を準備した私よりも毛以外はほぼ裸の犬の方が雪に祝福されているような気がしたのだ。

 

羨ましい、この雪に祝福されたい。
あの犬の方が雪を楽しんでいるなんて。
私の方が雪を楽しんでいる。

 

心に降り積もらせた嫉妬心を払うが如く大地を蹴っていた。

この時某モンスターハンターのCMを思い出していた。
「モンハンゴッコしようぜ!!」と心のワクワクを抑えきれず地を蹴り石を投げ土を掘る山田孝之のCMを。

今の私に必要なのはあの勢い、あの無心さ、あの無邪気さだ。
何かを仕掛けるわけでも無く空き地へ駆け出した私に気づいたのか、雪のキラキラと共に犬が振り返った。気づくべきだったのだ、「楽しむ」という土俵に勝敗を持ってきた時点で私の負けだったのだと。

 

「お前もパーリーかよー!!!!」と言わんばかりの犬の体当たり。


倒れこむ私の周りを「この絨毯!!マジトランポリン!!!!」と跳ねる犬。


謝る飼い主。山田孝之になれなかった私。

 

トボトボと帰宅しガスヒーターで体を温める。
スマホには帰れないという旨のメッセージが家族から入っていた。
テレビを付けると入場規制となった駅と帰宅困難者が映し出され、そして先ほど思い浮かべたあのCMが流された。


私も山田孝之になりたかった。

鼻水で窒息死してみようと考えた夜

風邪をひいた。

「物が飲み込みづらいだけ」
「寒暖差が酷かったし気圧差にもやられたのだろう」

そうたかをくくり、原因である鼻水を放置したのが全ての始まりだった。

症状が重くなり喉に張り付く粘度の高い鼻水。
出そうと咳をするも張り付いている為取れない痰。
更に出そうと咳を激しくした結果無闇に傷つけられる喉。
とどめとばかりの多忙。
喉の炎症による発熱。奪われる声。

初期段階で手を打たなかった私のミスでもあるが、
年末のバタバタと真摯に向き合った私に対してあんまりな仕打ちじゃなかろうか。

深夜2時半、休息を求める体と反比例するが如く流れ出る鼻水。
その結果出来た痰を窒息しないよう吐き出しながらふと思い至った。

「もう窒息してもいい、とにかく深い眠りにつきたい」と。

鼻くそだけにヤケクソだったのだろう。
ああ、クソの流れのように おだやかに。

発熱と酸素不足で朦朧とする意識には
クソによる窒息死がとても良いアイディアに思えたのだ。

 

思えば幼い頃から「死」という感覚に対して興味があった。

幼い頃のある日、寝起き一発目に飛び込んてきた
朝日に照らされた室内灯のスイッチ紐に括られたぬいぐるみに恐怖を感じた。

そのぬいぐるみは私が引き、共に常夜灯の下床に就いたはずなのだ。
しかし外は常夜灯が必要無い程にその光度を変化させ、
ぬいぐるみはその恩恵を受け燦燦と輝いているのに対し、
私はそれを知る由も無く懇々と眠りについていた。

私の感覚だけはこの世には無かったのだ。

「これがきっと死なのだろう」と幼心ながらに感じ、自分の知らない事が存在する事に恐怖した。
そして、無謀にもその幼心は「『知れば』怖くなくなるのでは」という仮説を立てたのだ。

お化け屋敷もどのタイミングで脅かし役が出るのか、知っていれば怖くない。
お母さんに怒られるのは怖いが、事前に回避するような行動を取れば怒られない。

仕組みを、構造を、状態を知れば怖くないと考えたのだ。

それ以来映画の死体の真似をする死体ごっこをしてみたり、
風呂に潜り無音と闇の状態を死に見立ててみる年月を過ごした私にとって
鼻くそによるおだやかな窒息死はとても魅力的に思えたのだ。

 

薄れていく意識の中、死を間近にした人はどういう行動をとるべきかを考えた。
映画では過去を思い返したり、やりたかった事を悔やんでいたり、思い人に告白したり様々だ。

せっかくなら全てを網羅しよう、それでこそ長年知りたかった死ぬ前の状態だ。

今日の私は冴えているぞと早速やりたかった事から考え出した。

「クリスマスネタ、書き終えなかったなぁ」
「あの表情だけは描きたかったな」
「あ、そういえばこのセリフも入れたかったんだった」
「あ、今思い当たったセリフめっちゃいいな」
「めっちゃいいな」
「めっちゃいいじゃん」
「ちょ、おまそれ、ま
ちょっと待って!!!!!!!!

 

冴えた結果出てくるネタに布団を飛び出すオタク。
結果、長年に渡り待ち望んだ死を待たせる形となった。

オタクでよかった。

ダメー・オッターと北の大地のヤッホータイ ~人生二回目のモーニング娘。単独公演編~

2013年後半から徐々にハマり在宅を極め、友人や妹のありがたい手配でようやく重い腰をあげ単独ツアー初参加となった2016年秋。

初参加となる横浜公演の数日前、推しのまーちゃんこと佐藤優樹さんの地元凱旋公演チケットを取ってくれた友人から連絡が来る。


「ねぇ!!!見て!!!!」


「最前!!!!!!!!!!!!」

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整理現象とタイムカプセル型のクローゼット

特に意味も無く部屋の掃除をしたくなる時というのが人にはある。

最早整理現象といっても過言ではないだろう。

 

かくいう私もその整理現象に襲われたわけである。

整理といっても机の周辺やベッド付近は基本的に綺麗で、問題はクローゼット等の収納関連だ。とにもかくにもオタクの部屋というのは物が多い、自分の価値基準のみで物をやたらと溜め込む。

そこさえ綺麗になれば私の整理現象は治まると判断し、押入れに溜め込んだ過去の私基準の必要な物を捨てていく事にした。

 

押入れからひたすら物を出す。


小学校時代に流行った色つきのサインペン、折れた鉛筆、不要になった筆箱の数々、学生時代の教材、中学時代に流行った交換手紙の束、日記を閉じてた鍵、擦り切れた毛布、お菓子をもらう度に溜め込んだ包装紙と箱。


出しても出しても物が出てくる。


私が押入れから物を出している最中にも過去の私が捨てがたいとしまい込んでいるのかもしれない。

そんなタイムリープのような感覚を味わいながらひたすら過去の自分を押入れから追い出し、ようやくクローゼットの壁が見えた。


先ほどの感覚から物を全て出せば反対側がドアになっていて過去の自分の部屋、ひいては過去の自分が見れるんじゃないかと。何を思ってゴミとも思えるこれらを溜め込んだか聞けるのではないかと。思ってはいたが、たどり着いたのはただただ白い壁だった。

今私がゴミだと判断したこれらを過去の私は捨てがたいと判断した。その理由を聞きたいと思ったが叶わなかった。

仕方がないので出てきたお菓子の缶に出した物を少しずつ、そして新たに今の私にとって捨てがたい物を詰めて押入れに戻した。


数年後、再び整理現象がぶり返した私に向けて。

初めてモーニング娘。16'単独ライブ参戦の巻。②

モーニング娘。の単独ライブ初参戦レポ、その②。
最初のMC以降の話から、相変わらずセトリはネタバレしています。

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初めてモーニング娘。16'単独ライブ参戦の巻。①

長いので暇つぶしにでもどうぞ。
ただしセトリネタバレしているので嫌な人は帰ってください。

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